子どもの成長を祝う、五月幟

代々伝わる、島津家の幟

 先日は、桃の節句に合わせ「島津家に伝わる人形とひな道具」について、ご紹介致しました。今回は端午の節句に掲げる、島津家の五月幟について書いていきます。



五節句について

 1月7日を人日(じんじつ)、3月3日を上巳(じょうし)、5月5日を端午(たんご)、7月7日を七夕(たなばた)、9月9日を重陽(ちょうよう)と呼び、これらを「1年における、5つの節目=五節句」と言います。今でも、3月3日をひな祭り、5月5日を子どもの日、7月7日を七夕と呼び、無病息災などを願う様々な行事が日本中で催されていますね。



 もともと、五節句は中国の年中行事でした。それが日本へと伝わり、それぞれに独自の進化を遂げました。





五月幟 (ごがつのぼり) とは

 端午の節句、子どもの日、といえば、現在では「鯉のぼり」を連想される方が多いのではないでしょうか。鯉のぼりは、中国の登竜門の故事から着想を得て、江戸時代に広く定着したものと言われています。ちなみに、鯉のぼりが大型の布製のものになったのは大正期以降のことで、それ以前は紙製であったり、馬印(各家の御印)と吹き流しだけであったりと、シンプルなものだったようです。明治初年の頃の、鹿児島の行事を記した伊地知峻著の『薩藩年中行事』には、一般の家庭で、三~四間(高さ約5メートル)の青竹の上に、自家の紋を象った天辺の飾りを戴き、それに馬簾(ばれん)をつけ、大幡や吹き流しを飾った、と記されています。


 島津家では、鯉のぼりではなく「五月幟 (ごがつのぼり)」を掲げています。五月幟とは、鯉のぼりよりも歴史の古い幟旗です。家に男児が生まれたことを神様に伝え、子どもの成長と守護を願うために、家紋等を入れた幟を天に高く掲げるものとして、島津家に代々伝わっています。





五月幟のすがた

 島津家の五月幟は、神様を家にお招きする目印としての「招代(おぎしろ)」の姿をとどめたものです。幟竿は、長さが約13メートルあります。



 跡継ぎの男児の幟は、島津家の家紋である丸十紋2本、桐紋2本。そして昇り竜と降り竜が各1本。五色の吹流し1本の合計7本が飾られます。それぞれに、細長く垂れる馬簾がついています。



島津忠重と弟たちの五月幟

 島津家30代忠重は、自著のエッセーにこのように書き残しています。


「五月の節句の私たちののぼりは有名なものだったので、少し述べておくことにしたい。のぼりは非常に大きなもので、私のだけは7本あって弟たちのは5本ずつであった。今弟たちのうちの一本が記念に残してあるが、立派な杉材で電柱の大きなものぐらいはある」


 島津家の博物館・尚古集成館には、当時の写真も残っています。(弟たちの五月幟)





 博物館本館には、明治時代の五月幟の竿も常設しております。ぜひご覧ください。

 ※本館は現在耐震工事中です。2024年秋の再オープンを予定しております。



菖蒲(しょうぶ)の花とともに

 また、この時期は、仙巌園内で美しい紫色の菖蒲の花が見られます。
 菖蒲は、葉の形が剣に似ていること、武を貴ぶという意味の「尚武(しょうぶ)」に音が通じることなどから、島津家でも愛されている花です。そして、御殿横の大池に菖蒲の咲く景色も、端午の節句にはなくてはならないものの一つです。





 生まれた子どもの成長と守護を祈る気持ちは、現在に繋がっています。島津家別邸仙巌園では、古くより伝わるこの文化・伝統を、今後も守り伝えていきます。



【更新】2020年5月12日



小平田 史穂

小平田 史穂

尚古集成館学芸員
鹿児島大学法文学部卒業。
放送大学非常勤講師 等
南日本文学賞詩部門受賞。
鹿児島県文化芸術振興審議会委員

著作
『みんなの西郷さん』
『復刻版 炉辺南国記』尚古集成館、山形屋にて販売

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