2020年6月から、仙巌園では、未来へ向けた新たな取り組みとしてプライベートツアーを企画・実施しました。その中で、個人的によく質問を受けたのが「華族のアフタヌーンティー」ツアーについてです。
「なぜ、大名庭園である仙巌園で、アフタヌーンティーを?」というお声を頂きました。
公爵であった島津家30代忠重は、英国在勤帝国大使館付武官・ロンドン海軍会議全権委員随員などを歴任し、2度英国に滞在していました。その中で「園遊会」として、アフタヌーンティーを楽しんだ様子を書き記しています。
「英人はお茶のみ人種で、お茶といっても紅茶を飲むことが好きである。殊に婦人連は午後になったらお茶を飲まないと気がすまない。私は英国では何でも向うの習慣に従って、午後お茶を飲むことにしていた」
「お茶を飲むのが主だからお菓子とサンドイッチ位なもので、少し余計出るところではそれにアイスクリーム位である。飲み物は紅茶一点張りでコーヒーはほとんどない。(中略)それが非常に楽しいのである。日本人はこんな場合、すぐにアルコール類を欲しがるが、英国のお茶の席では酒は一切出さない」
『はばたき』園遊会の項より引用
忠重は、当時最高級とされたバッキンガム宮殿の園遊会に複数回参加しており、立食式パーティーを心から楽しんでいたようです。女性たちがアフタヌーン・ドレスを新調すること、男性のフロックの色についても記しています。日本に帰国し、この気持ちを共有したいと、ツツジの花の咲く時期に自らティーパーティーを催したものの、お酒を出さなかったことと立食式だったことが客人に受け入れられず、すこし残念に思ったようです。
また、彼は食器類についても書いています。
「英国に行ってから同国内旅行をしたとき、よくスーブニール・スプーンというのがあるのに気付いた。大体ティー・スプーンの大きさで先の方は大小異であるが、柄の方に工夫がしてあり、美術的な飾りがついていて、その都市によっては紋章があるが、それを形どったものを七宝でつけるとか、彫刻をするとかしてある。洋銀の種類や金属のたまには金メッキのものもある。スコットランドの国花はアザミであることから、アザミの色のガラスで作ってあるものもあった。中でも一番面白いと思ったのはエジプトのカイロで買ったスプーンである。エジプトの大昔の墓からよくミイラが出るが、これを型どってお棺のふたをあけると中にはやはり金属製のミイラが寝かしてあるのがスプーンの柄になっているのがあった」
『はばたき』スーブニール・スプーンの項より引用
こういったスプーンを、英国を主として、さまざまな都市で一つずつ買い集めていました。これを何に使ったかというと、食事の際によく知らない相手と同席になり、共通の話題がないときに、テーブルに並べて話の種として役立てていたようです。確かに、エジプトのミイラがデザインされたスプーンがテーブルに置いてあったら「こちらは?」と聞きやすいかもしれませんね。会話を楽しみ、その後の縁を繋げる。こうした気遣いも「楽しいお茶の時間」として英国で得たことなのでしょう。
ちなみに、忠重の父・忠義も英国製のティーセット見本を取り寄せています。
「(外国からの客人が増え)少なくとも磯邸の庭で茶菓を供するくらいのことはするようにして置かないでは、との趣旨があったのであろう、英国に茶器の注文をなし、数組の見本が取寄せられていた。(中略)私は二度英国に行ってたびたび英国の茶器を見たことがあるので、多少わかるし、また英国ではロンドンで家を持っていたこともあり、食器や茶器など買って滞英中それを使い、また帰朝の際はそれを持帰って、東京でも使っていた。そのような経験から前記の見本として取寄せてあった英国の茶器は、どの程度のものであるかというと、相当立派なものであることがわかるのである。ところでこの茶器は見本を送らせただけで、実用に使用するセットは、ついに取寄せないうちに父の死となり、実行せずに終った」
『炉辺南国記』外国関係の項より引用
仙巌園は、幕末にイギリス公使パークス一行がいらしたり、ロシア皇帝ニコライ二世(当時皇太子)がいらしたりと、南の迎賓館としての役割を大きく担っていました。
忠義は、維新後もまげを結っていたことから「保守的」なイメージを持たれがちですが、仙巌園で客人をもてなすために、英国の一流茶器を取り寄せる心くばりからは、新しいものを受け入れる寛大さが見て取れます。
意外にも、英国やアフタヌーンティーとかかわりが深い島津家と仙巌園。お客様にも優雅な気持ちで楽しんで頂けたら、嬉しく思います。
【更新】2020年6月19日