元和2(1616)年~元禄7(1694)年

島津家19代当主。父は家久、母は島津忠清(ただきよ)女、養母は義久の娘である亀寿。鹿児島にて誕生し、寛永元(1624)年に8歳で江戸へ赴く。寛永15(1638)年、家久の看病と天草島原一揆の鎮圧の加勢のため帰国を命じられ、島原に向かう。正保3(1646)年には江戸の芝藩邸に幕府老中や大名などを招いて、翌年には武蔵国王子原(現東京都北区)に将軍徳川家光を招いて、鎌倉時代から受け継ぐという犬追物を実施、島津家の伝統を誇示した。寛文8(1668)年、忠久が源頼朝の庶子であることを理由に、代々伝わる藤原姓から源姓に改めた。
山ヶ野金山(永野金山、現霧島市横川町・さつま町)・芹ヶ野金山(現いちき串木野市)・錫山(現鹿児島市下福元町)などの鉱山や新田開発・治水にも力を注いだ。万治元(1658)年には別邸仙巌園を築いた。元禄7(1694)年に79歳で逝去。