正月の仙巌園は、新しい年を迎えるための飾りつけや、色とりどりの牡丹の花で美しく彩られています。餅つきや振る舞い酒など、皆さまを賑やかにお迎えする準備をととのえておりますが、同時に、粛然(しゅくぜん)と飾られた伝統の正月飾りなどもご覧頂ければ幸いです。
今回ご紹介するのは、歴代の島津家当主に愛された御殿に、毎年正月に飾っている「鎌倉流正月飾」です。
かつて、正月や節句などの年中行事、元服や婚礼などの人生儀礼、大切な来賓の饗応などには、非常にこまやかなしきたりがありました。これを規式故実と言います。島津家は、鎌倉時代から伝わるという独自の鎌倉流規式故実と、足利将軍家の包丁師・大草公次が興した大草流規式故実を使い分け、行事や儀礼を執り行っていました。この二つの使い分けは、島津家の私的な行事は「鎌倉流」、公家や幕閣、他大名が関係する儀礼・接待や婚礼などは「大草流」と、なっています。
島津家では、初代忠久の代から伝わる鎌倉流規式故実を、大切に次の世代に授けてきました。しかし、桃山時代、島津義久や義弘らが上方に行く機会が増え、公家や諸大名との交際が頻繁になった折、鎌倉流では彼らを満足させる饗応が出来ませんでした。例えば、料理ひとつ採っても、包丁作法や盛り付けなどに繊細な決まりがあったからです(料理故実)。このことから、島津氏は、大草流の料理故実に通じた石原佐渡という人物を採用しています。鹿児島の「おおざっぱなようで、実際は丁度よい塩梅だ」という意味の「石原どんの投げ塩」という言葉は、この石原氏からきています。大草流で、さまざまな公家や大名をもてなしました。
しかし、島津家の家庭の中では、大事に鎌倉流を守り伝えています。その一つが「鎌倉流正月飾り」です。今も全国的に「鏡餅」を準備するお宅は多いと思いますが、鎌倉時代から伝わる島津家のものは、その姿が全く違います。
三方に米を盛り、その上に餅を32個と、7本の立松を飾ります。米を盛る紅白の紙の折り方も、32本の線が入るよう、紙の四隅が谷になるよう、細やかに決められています。
現在でも、島津家の御殿ではこのように飾っていますので、興味のある方はぜひお越しください。
また、正月に合わせて、床の間の掛軸も、尚古集成館の学芸員がおめでたい絵柄のものにかけかえています。
島津家25代重豪の息子で、中津藩奥平家の養子となった奥平昌高の、娘(サク姫)のものと伝わる狩野派の三幅対です。こちらにもご注目ください。
世相は慌ただしく移り変わっていきますが、伝統として守り伝えるべきものは、きちんと丁寧に引き継いでいきたいと思います。皆さまにとって新しい年が安らかなものになりますように。
【更新】2019年12月29日