博物館には、さまざまなお問い合わせの電話がかかってきます。その中で、公的機関からよくある質問の1つが「なぜ、島津家はSHIMAZU(もしくはSHIMADU)と表記せず、SHIMADZUと書くのでしょうか」というものです。ZU、DUではなくDZUを使用することについて、史跡看板等の整備や企画展のキャプション等で英語表記を挿入する際に疑問を持たれ、わざわざお電話をくださるところが多いようです。
お答え致しますと、おおよそ明治時代から、島津家は「SHIMADZU」の表記を正しいものと確定して用いていたとのことです。これは、31代忠秀が「30代忠重の家庭教師として英国から来ていた、ミス・エセル・ハワードから『DZU』が正しいと聞いている」と語っています。
エセル・ハワードについては、前出のクリスマスの記事でも少し記しましたが、当時まだ若年だった忠重とその弟たちに、一流の教育を受けさせるべく英国から派遣された女性でした。島津家に赴任する前はドイツ皇帝の皇子4人を教育したという、素晴らしい経歴の持ち主です。
忠重の随筆に「ただ話すだけではなく、上品な英語を話すことができなければならない、と指導された」と登場する厳しい英国婦人が、なぜ「DZUが正しい」と教えたか、今となっては分かりません。
ただ、言語+音としての視点からみたとき「ず」と「づ」を明確に区別するために、この表記を使用したのではないかと推測されます。鎌倉時代から続く島津家が、いざ英語で自分の名前を示すときに「しまづ」を「しまず(ZU)」とするわけにはいきません。さらに、「しまづ(DU)」と表記をすると、海外の方に「しまどぅ」と読まれてしまう可能性があります。このことから、日本語の「づ」の表記を大切にしながら、相手の誤読を防ぎ、厳密に美しい音を追求し「DZU」が正しいとした、と理解するのが自然だと思われます。ちなみに、英国王室では今も「DZU」を用いられるのだと、英国出身のスタッフに聞いているので、当時の上流階級のスタンダードな表現だったとも考えられます。
ちなみに、エセル・ハワードが来日する前からもDZUの表記は散見できます。1858年10月16日の英国系新聞ノース・チャイナ・ヘラルドの日本情報の中に「THE DEATH OF NARIAKIRA‐SHIMADZU(島津斉彬の逝去)」という表記が見られます。しかし、このころの他の記録だと「The Prince of Satsuma」「The Prince of Shimadzoo」など、表記に揺れがあるのも特徴です。
現在、ホームページをはじめいろいろな場面で、変わらず「SHIMADZU」表記を用いていますが、ずいぶん定着しているようです。
これからも末永く、皆さまに「しまづ」の読みが受け入れられることを願っています。
【更新】2020年2月1日