文亀3(1503)年~天正元(1573)

島津家14代当主。父は忠昌。はじめは頴娃(えい)氏へ養子に出されるも、永正16(1519)年、早世した2人の兄の跡を継ぎ家督を相続。当時の内乱状況を収めることができず、大永6(1526)年(翌年という説もあり)、に相州家(そうしゅうけ)島津忠良の息子、虎寿丸(のちの貴久)を養子として迎える。しかし、薩州家(さっしゅうけ)の実久から強い反発にあい、すぐに家督を奪い返す。これにより勝久と相州家・薩州家3者の抗争がはじまる。この家督争いの結果、勝久は敗れ、日向国から母の実家の大友氏が治める豊後国(現、大分県)へ逃れた。天正元(1573)年に同地で逝去。享年71歳。