享保14(1729)年~宝暦5(1755)年

島津家24代当主。父は継豊。加治木島津家の養子となっていたが、寛延2(1749)年、兄である宗信死去に伴い、江戸へ上り宗信の養子として家督を相続。宝暦3(1753)年に幕府より木曽・揖斐・長良(きそ・いび・ながら)の三川の治水工事の命令を受けると、家老平田靱負を奉行に任じ1,000名余りの藩士を派遣、翌年着工させた。宝暦5(1755)年、参勤で江戸に向かう途中、子重豪を伴って現地を視察、その後間もなく完成した。治水工事の成功を賞賛されるも、同年に江戸の芝藩邸にて逝去。享年27歳。