明治19(1886)年~昭和43(1968)年
島津家30代当主。父は忠義。明治30(1897)年に忠義が死去したため、島津家の当主となり、伯父珍彦(うずひこ)の後見を受ける。翌年上京し、学習院やイギリス人家庭教師の教育を受けた後、海兵学校で学ぶ。艦隊勤務を経て海軍大学校教官・英国在勤帝国大使館付武官・ロンドン海軍会議全権委員随員などを歴任、海軍少将まで昇進した。明治44(1911)年に貴族院議員となる。大正6(1917)年には島津斉彬・久光・忠義の銅像を造り、祖先の慰霊祭を開催するなど顕彰活動にも熱心であった。大正11(1922)年に薩摩興業株式会社を設立し、事業を会社経営へ変えることで新たな島津家の道を切り拓く。大正12(1923)年に集成館機械工場を利用して博物館尚古集成館を開館。戦災で東京の邸宅がほぼ焼失し、戦後の財閥解体などにより経済的に苦しい状況の中、昭和21(1946)年に華族追放令によって公職追放を受ける。昭和26(1951)年に薩摩興業株式会社の会長に就任し、株式会社島津興業に社名を変更。昭和43(1968)年に80歳で死去。