元禄14(1701)年~宝暦10(1760)年

島津家22代当主。父は吉貴。享保6(1721)年、将軍徳川吉宗の命により、隠居した父の跡を継ぎ家督を継承する。享保14(1729)年、吉宗の命により、5代将軍綱吉の養女竹姫と婚約、竹姫が吉宗養女となった後に結婚した。延享3(1746)年、隠居し宗信に家督を譲るも、寛延2(1749)年に宗信は鹿児島において死去。宗信の跡を継いだ次子重年も宝暦5(1755)年に死去。重年の子、重豪が11歳で家督を継いだため、継豊はその補佐をすることとなる。宝暦10(1760)年、鹿児島城二の丸において60歳で逝去。